かがわ木造塾
昨日はかがわ木造塾の最終日であった。
滋賀県から大工棟梁の宮内氏を迎えてのトークセッション形式で、
いつもの講義と少し趣が変わった講義となった。
宮内氏の職人としての生き様がリアルに伝わる“生きた”講義で、
まさに最終日にふさわしいものであったと思う。
「守破離」凡人は守の位置でやっと、破の域はおろか璃まで達するのは半端じゃできない。
まざまざと“意気”を語る「職人」であった。
知識を学ぶ講義もいいが、
こういう“心”が伝わる講義もわるくない。
ぼくはこういうのが好きだ。
今は設計が不自由な時代である。
それは設計者が招いた側面でもあるのだが・・・
それに抗うのでもなく自らの立ち位置を見据え果敢に挑む姿に感動と尊敬を覚える。
あらためて、自らの姿勢を問う講義であった。
滋賀県から大工棟梁の宮内氏を迎えてのトークセッション形式で、
いつもの講義と少し趣が変わった講義となった。
宮内氏の職人としての生き様がリアルに伝わる“生きた”講義で、
まさに最終日にふさわしいものであったと思う。
「守破離」凡人は守の位置でやっと、破の域はおろか璃まで達するのは半端じゃできない。
まざまざと“意気”を語る「職人」であった。
知識を学ぶ講義もいいが、
こういう“心”が伝わる講義もわるくない。
ぼくはこういうのが好きだ。
今は設計が不自由な時代である。
それは設計者が招いた側面でもあるのだが・・・
それに抗うのでもなく自らの立ち位置を見据え果敢に挑む姿に感動と尊敬を覚える。
あらためて、自らの姿勢を問う講義であった。
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