一周忌と七周忌

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母の一周忌と父の七周忌の法事をした。

時の経つのはほんとうに早いもので母が逝って早一年である。

父は丸6年になる。

父の残像は時の経過と共にしだいに薄れてくる。

母はまだしっかりと残っているが母もやがて想い出の世界になっていくのだろう。

気が付けば親のたどった道を歩いている。

懸命に生きた、大正、昭和、平成、今親の足跡を静かに見つめることができる。

法事は縁者の集いでもある。

親戚縁者が集まって想い出を語り、笑い合ってお互いをいたわりあう場である。

それは亡くなった者が後に残った人たちへのささやかなイベントの装置でもあるのだ。

ぼくは法事のほんとうの意味はここにあるのではないかと思っている。

壁にかかった写真の顔が一瞬笑ったように見えた。
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高松明日香展in塩江美術館

さっそくみに行った。
まだこの前降った雪が残るさむ~い一日だった。
塩江美術館、いっしょになった来館者は一組の若いペア。

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「イメージの擬態」・・・どこが?
なんとなくわかるような気がしてくる。

せっかく来たのだからと連れ合いと温泉(行基の湯)に入って帰ることに。
寒い日の湯は体があったまる。

高松明日香展

高松市塩江美術館で高松明日香展が開催されている。
テーマは「イメージの擬態」。
4日に美大生の三男といっしょに見に行こうと思ったが、
雪道での昨年の苦い経験があるので日を変えることにした。
近いうちに行くからね。

”材”

材は木材の「材」木の才能って書く、

とは最近なにかに載っていた。

鉄材、硝子材、自然素材・・・と「材」は材料と呼ばれるすべての言葉のあとにつく。

それははぶん太古から木は万能であり人間の営みの原資であったからだろ、

と想像する。

その昔「火」を燃し保つのは木であった。

木は人間が生きるのに必要不可欠のものであったのだ。

木は木造建築には欠かせない。唯一「木材」は木という字が二つ使われるのだ。

紙にもなる、容器にもなる。さまざまな農具や民具も木で作られた。

まさに万能であり、そして木は唯一再生可能な資源なのだ。

木が二つで林になり、三つで森になる。

親という字は「木の上に立って見る」と書く。

木がおろそかにされて久しい。

木をおろそかにする文明は滅びる。

自然をあなどる文明は手痛いしっぺ返しをくらう。