高松明日香展in天満屋

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高松明日香展をのぞく。

以前の丸亀と違ってここはデパートのギャラリーで開かれている。

高松さんはいなかったが・・・

数十万の絵が売れていた。

よかったね。

彼女は自分の絵を心象風景というが、

落着いた色調の絵を見ていると、絵を通してその風景が見えてくる。

高松明日香展6/28まで
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宇野朗子さんのことば

ふとしたことから、
宇野朗子(うのさえこ)さんという人を知った。
この人のことばを紹介させていただく。

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福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。
赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。
学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。

大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、子どもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。
科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界の姿に。

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ



MOKスクール

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11日、12日と大阪MOKスクールに行き、
講義とうまくセッティングされた日程でMsの完成建物をみてきた。
MOKスクールについては最先端の木造住宅を学ぶ場であると共に、
ぼく自身の設計のよりどころにもなっている。

あれから10年、初めてスクールの門をたたいてから10年である。
早いものだ。
ぼく自身はあまり進歩していないが世の中は大きくかわりつつある。
東日本大震災、原発事故と不条理な事象に多くの人たちが苦しめ続けられている。
一瞬にして破壊をもたらすこれらの出来事は、
わたしたちの営みを問い直さずにはおかない。

従順で温厚な国民は原発という毒まんじゅうを食わされつづけててきた。
きれいに包まれたあんこの中身はいったいなんであったか?
いまの状況をみればわかる。
日本は、いや世界は原発から手を引くべきだろう。
被爆国である日本は世界に範をたれるべきであった。
それがこのていたらくだ。

とまれ、
建築を生業とする末端においても意とするものに誠実であらねばならない。
謙虚であらねばならない。
自然に対して畏敬の念を決して忘れてはならない。

大山鳴動して

きのうの午後はTVから目が離せず、徒労感と厭世感が残る時間を費やした。

問責に賛成でも反対でもなかったが、

大島氏のえらそうな上から目線の提案理由説明は聞くに耐えなかった。

それに比べて石原氏の賛成意見は抑制がきいていた・・・。

しかし、

理由はなんのかんのと付けていたが、

造反を言っていた政権側の人たちの変わり身の速さには開いた口が塞がらない。

結局自分たちの保身なのですね。

それに比べてスジを通した松木氏はえらい。

何を言おうと、この時期に問責はないと思うし、

そんな時間とヒマと金があるならやるべきことは他にあるはずだ。

M神社随身門が完成

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凛としたヒノキづくりの立ち姿がいい。

やはり神社仏閣にはヒノキである。

スギだと木のもつソフト感がちょっと合わない気がする。

それに曝露されるストレスにはヒノキにはかなわない。

そばに行くとみどり濃い木立に囲まれた境内にヒノキが香る。