陽気に誘われて

陽気に誘われて仕事の息抜きにぶらりと外に出てみると、畑の畦にところ狭しと出ているツクシたち。さっそく今晩の一品をゲットしました。心浮き立つこの季節は野草も生命感にあふれています。

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ツクシが出ているのは野生のニラ群の中です。里地にも春がやってきました。

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ハカマをとったり、ちょっと下こしらえが面倒ですがほろ苦い風味がまた季節感があっていいもんです。

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自家製シイタケとツクシの佃煮になりました。
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もう春だなあ!

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庭先のスイセンが陽気に誘われるように咲きました。

少しうつむきかげんに咲くスイセンの花はどこか遠慮がちですが、
黄色と白のグラデーションがなんとも春らしい。

雑草と領分を競うでもなく、ささやかに存在を示すこの花を見ると気分がなごみます。

畑の風景

すっかり春めいて冬野菜ももう終わり、残りわずかの白菜は外葉が枯れて卵型になっています。ダイコンもやがて花芽がでて花をつけます。まだ食べるのには問題ないので冬野菜の名残りを楽しむとしましょう。我が家の冬の食卓を潤してくれた野菜たちに感謝です。あたりまえに野菜がつくれる環境がほんとうにありがたいと思います。ダイコンは根菜ですがある程度地下に根を伸ばすとこうして地上部分にも伸びてきます。ニンジンやゴボウはそれがないのにいつも不思議に感じています。

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シイタケづくり

自家用の原木栽培用のシイタケのホダ木をつくりました。
田舎に住んでいるとその気になれば自分でシイタケの栽培ができます。
ホダ木を調達して、木の乾燥したら植菌、あとはキノコが出るのを辛抱強く待つだけ。
そのほか若干の労力は必要ですがきわめて簡単です。

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庭木の横に置いて乾燥を待つコナラのホダ木

年末恒例の餅つき

2016年もあとわずか、増田家年末恒例の餅つきです。
甥の家族が参加、30年前のにぎやかな餅つき行事が帰ってきました。
場所もここと同じ、泉下の父母もきっと見てくれていることでしょう。
時の流れを感じますが変わらぬ年末の風景です。

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畑の風景

母が生きていたら、「こんな草だらけの畑にして」なんてきっと嘆いているだろうなあ・・・でもぼくはほどほど雑草がある方が健全だと思っています。まあ、かっこよく言えば草とバランスをとりながら野菜をつくっている、などと手入が行き届かない言い訳にしているのですが。でもその方が自然、自家食用だから収量もそんなに気にしないしそこそこ採れたらよいと思っています。おかげで青草いっぱいの畑はバッタなどの虫の棲家となっていて、えらいもんでそんな中でも畑の見栄えはよくありませんがしっかりと実をつけてくれます。マルチをやれば雑草も押えられるのでしょうが、ぼくはどうもビニールで土を覆うのが好きになれません。

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オクラは昨年採った種からしっかり育ってくれて毎日の食卓にのっかています。

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トマトは雑草化した青ジソの中で次々色づいています。

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スイカは雑草を隠れ蓑にして鳥のえさとならずにすんでいるようです。

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ミントはもう完全に雑草化して自分のテリトリーを盛んに広げています。

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仲良く存在を主張する青ジソと赤ジソ。

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昨年採った種のキュウリも2番苗が大きくなり実をつけています。これでキュウリの食味期間が2倍になりました。

イタドリのキンピラ

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イタドリ(イタンポ)のキンピラ、雑草扱いのイタドリを一手間かけておかずをつくります。5cmくらいにブツ切りして皮をとり、短冊状に切り塩と重石をして一日おきます。塩水が上がったら今度は水に漬けて塩分を抜きます、2、3度水を替えてこれも一日おきます。ザルにあげ水を切り、熱々の鉄なべにゴマ油をさっとひき強火でさっと炒めます。醤油とみりんで軽く味を調えるとできあがり。この間3分、極めて簡単につくれ春の野草が味わえます。肴の一品ができました!

「障害者」ということば

過日、毛利公一さんの講演をききに行った。氏は「首から上が動く」人だ。決して「首から下が動かない」障害者とは自らは言わない。この「障害者」「障がい者」害をひらがなになおしても耳に入る語感は同じである。身体のどこかに不自由をもっている人は自分から「障害者」と言うことはない。それはいつも「健常者」と言われる人たちから発せられる。ぼくはこの言葉は差別語だと思う。なんて不遜で傲慢なことばだろう。日々浴びせられるこのことばにに対して当事者がどう受け取るかなんて想像しないのだろうか。福祉の現場においてさえである。こういう言葉を使わない社会こそほんとうの福祉社会だと思うのだが・・・

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ジャガイモの収穫

            梅雨の合間にジャガイモを収穫しました。

            今期はメークイン一本で5kgを植え付けました。

            けっこうよく採れて60kgは超える感じです。

            芽が出てから土寄せをしっかりして、

            たっぷり水をあげたのが良かったみたいです。

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夕暮れの野菜畑

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デスクワークに飽きると気分転換に畑に出てみる。昨日降った雨がしゅんだせいか畑の夏野菜が元気に見える。幾重にも長い年月を毎回毎回こうやって畑に野菜を植える。亡くなった父や母もこうやって作っていた。何気なくみていた野菜づくりだが、こうして今自分がやっているとあの頃の両親の気持がよく分かる。土に預けた作物が育つ喜びは体験しないと理解できないし、またそれを食べる喜びはそれにも増して大きい。普通に暮らせることがどれほどありがたく貴重なものであることか・・・この畑を残してくれた両親、そして先祖に感謝。

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トマトもしっかり実をつけてくれた。熟すまでには時間が必要だが、日々大きくなるのが愛おしくて楽しい。土とふれあう喜び、作物を育てる喜び、それを味わうことができる。なんとも贅沢なことである。