一気に気温が上がって
里山から拝む初日の出
いまどきの里山は・・・







事務所で仕事に熱中!?していましたが、陽気に誘われて家の上にある里山に上がってみました。目的は山菜がでているか様子をみるため。すっかりブッシュ化した林道の小木にかかっていた鳥の巣、地上から1mほどの高さですが葉が茂っていると上空からはちょうどよい隠れ場所になるのかもしれません。はや真紅の花を咲かせているオンツツジ、枯れ景色が残るなかで一際目だっています。ワラビは出始めたところでまだ本格的な採取は少し先のようです。タラの芽もこれからですね。ポツポツと白い花を付けているのはサクラ、あと一週間もしたら一気に咲くでしょう。地面の水たまりに小さなビオトープができていました。孵化が近い蛙の卵です。水が枯れないか心配です。ワラビの収穫はほんの一握りでした。今宵の肴で初春を楽しむことにしましょう。
謹賀新年
田んぼが変わってゆく!
森は未来からの預かりもの

昨日、国営讃岐まんのう公園「さぬきの森」で、森林の管理関する事業発注について打合せと現地確認があった。発注者側(国土交通省)、委託管理者、ここで活動するボランティアやコンサルティングの人たちが参加した。まずここはさぬきの里山というポジションのなかで、いかにつくり、維持し、人々が憩い、楽しい森にするかである。ここ、さぬきの森は来園者のためにある。決してボランティアが活動するためにあるのではないということ。また施業者のためにあるのでもない。ここが曖昧になると主客転倒がおこり迷走がはじまる。ややもすると「事業工事」になり自然や生態系の視点がおろそかになりがちだ。このような自然をテーマとした公園の維持管理には"森をみる"森林マイスターが欠かせない。人が替っても理念を継承していくリーダーといってもよい。今回改めて思ったことだが、それぞれの立場で里山林の維持管理に対する考え方の違いがある程度明確に表れたと思う。ぼくは自然の遷移にゆだね、必要最小限の人為行為派、ある程度積極的に伐る立場の人、中間的な考えの人、ものの見方考えたかでこうも違ってくる。どれが正しいかは一様ではない。歩きたくなるみち、四季折々に草木をめでるみち、近くで鳥に出会えるみち、はたまた駆け巡る森の中。開園前に行った大規模な地形の改変工事の代償は大きい。さりとて自然はたくましい。場所あらばと植物は種を落とし種をつなぐいとなみに懸命だ。このさぬきの森が何度でも来たくなる森になるのはいつの日か・・・