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使い古した登山靴

この靴を買ってもう何年になるだろうか。

たくさんの山を歩き、ぼくの足を守ってくれた。

そろそろお役ごめん ってとこか?

靴を見ていると数々の山行がよみがえってくる。

いとおしくてなかなか捨てられない。

しかし

タフなやつだ。

もしかしたら、

人間の方が先にくたばってしまうかもしれない。

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キノコの季節です

久しぶりにキノコの記事。
マッタケが口に入らなくなっても何年も経ちますが、これからキノコの季節。
雨の後を歩いてみると発生しているキノコたち。
これは「ヤマドリタケモドキ」で美味しいキノコです。
オリーブオイルでさっとソテーして一品に!
里山は今、静かにキノコたちが顔を出しています。

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トレラン/PDを聞きに

昨夜は、香川県山岳連盟主催によるトレイルランニングの人たちパネルディスカッションを聞きに行った。香川でもトレランが普及をはじめているようで、なかなか興味深いものだった。ぼくは山は走るというより歩く方だが、彼らは走ることがたまらなくエキサイトするのだろう。その気持はよくわかるし、自然を相手に自らの身体がシンクロするエクシタシ―は登山と共通するものがある。パネラーに加わっていたクライマーのT氏の発言はぼくの若き日を思い起こさせてくれたし、くすぶり続けている山への想いが着火気味だ・・・。今はやることがいっぱいあってたいへんだが、自然との関わりは一生つづくだろうし、還暦を過ぎあと20年どう生きるか、自分と向き合っていきたいと思う。刺激的な一時間半であった。

80歳の快挙

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三浦雄一郎さんが80歳でエベレストを登った。

数年前高松に来られたことがあったので講演を聞きに行ったことがあるが、

自然体で素朴な語り口に、この人があの三浦さんかと思ったものだ。

あれはたしか75歳の登頂のときだった。80歳で登るとおっしゃっていた。

あの時も錘が入った特製の靴を履いていたなあ。

人は目標に向かって行動するとき、達成しようとちからを発揮する。

やりつづけること、できそうでできない。本気度がちがう。



三嶺

毎年行きたくなる山、それが三嶺である。

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天気もよい体育の日、つれあいを誘って出かけることにした。ぼくば何回も登っているが彼女は初めてだという。「そうだったかなあ」子供がまだ小学生の頃から行っているので、一度くらいは一緒に登っていると思っていたが・・・。いつものように名頃から入山。「シロ」が小屋の脇で日向ぼっこをしており、もう“ガイド”はリタイヤしたようだ。3.4年前に来たときはぼくの前を行き山頂まで案内をしてくれて、その先縦走路の地中まで一緒だった。シロも老いたようだ。撫でてやると嬉しそうにすり寄ってくるが、もうガンガン登る体力も衰えたみたい。シロとわかれてぼくたちは山に入った。麓の木々はまだ緑の葉をつけており、色づくのはもう少し先だろう。この山は隣の剣山のように「観光地化」していないので静かに山登りが楽しめる。多くの人が誰でも気軽に登れるのは、それはそれで良い面だが、整備もやりすぎると山の魅力が失われて、そのバランスが難しい。やはり山は自分の足腰を鍛えてそれに見合う山を選択するのがぼくの考えだ。静かな山道を樹林に包まれて歩くのは気持ちがいい。登るほどに歩行にリズムも出てきて呼吸の息遣いも心地よい。野草花も目を楽しませてくれる・・・緩やかな時間の流れ、やがて視界が開け稜線直下だ。このルートは樹林から一気に展望が開けるのが魅力なんだ。ここまで登ると木々も紅く染まっている。眼下の笹原から切れ落ちる沢筋、うねる脊梁の山脈・・・ああなという光景だろう、ふき上がる涼風に陽射しがちょうどいい。多くの登山者と出会った。ダブルストックにウエアーも決まっている。高年者が多い。みんなかたちから決めているんだなあ。昨今のブームもなるほど、とうなづける。下山では「ダケモミの丘」での休憩時にデジカメを忘れてしまい、20分ほど降りてから忘れたことに気が付く始末で我ながら情けない。登りかえしてみるがやはりなかった。すれ違った人に聞くと夫婦の方が持って降りてくれたらしい。ぼくは再び駆け下りて車で林道を上がる途中でその夫婦と出会うことができた。カメラを持ってくれていた。名前も聞かずにわかれましたがほんとうにありがとうございました。おかげ様でこの写真がUPできます。感謝!!


ようやった!

「那智の滝を攀ったクライマー」

今朝の新聞、
だれかがいつかやるだろうとは思っていたが、
勇気ある3人のクライマーをたたえたい。
どうせなら完登してほしかったが、制止の怒号に耐え切れなかったのか?

もとより確信犯!
世界遺産の冠を持つ熊野那智大社にすれば「ご神体を汚された」と思ったのだろう。

立ち入り禁止にして国民共有の土地(自然)を囲い込むのはちまたに目にするが、
(ぼくはたとえ法律的に私有地であっても土地には公共性があると思っている)
宣伝効果になったくらいの度量“神様の持ち主”にはほしいね。

そういえば外国には名だたる超高層を登りまくっているクライマーがいる。

93歳の山ガール

1月9日の朝日新聞で浅野初子さんの「年重ねて知った山の恵み」を”ひととき”欄
で読ませていただいた。
今回はそれの取材記事だ。

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ご主人の清彦さんは初代関西登高会会長である。
今清彦さんは昨春、山で怪我を負い、今はリハビリ中だという。
初子さん93歳、清彦さん88歳、
老々介護の日々というが、お元気そうなお二人の写真を拝見しうれしく思う。
あれから三十数年、山に通った若き日々が懐かしい。
ほんと、この記事は元気をもらった気がする。




れいほくの木々たち

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ががわ木造塾のフィールドツアーで高知れいほくを訪れた。しばらくぶりである。国産材の需給率はやや上向いてきているというものの山の状況は一向の変わっていない。それどころかますます厳しくなっている様子が見えてくる。外国資本による日本の「山買い」は日本の国土の根幹である本土の森林政策の盲点を見せ付けられたし、大規模集約化に向かおうとしている森林施業の現状は山の荒廃に拍車をかけかねない。自伐林家が生き延びる道なくしては、農業における農地を守ることと同じく山(森林)は守れない気がする。これから出てるのであろうか、気のせいか木材市場に木は少なかった。合板、集成材、チップ材に流れているのだろうか。育った木を適材適所にまっとうな価格で使うこと。かつて盛んに可動していたグレーディグマシンは休眠状態であった・・・。材が少ないのか?使うメリットが無いのか?それとも他の理由が、相当の設備投資であっただろうに残念だ。いっぱい木があるのに木を使えない不自由さ・・・れいほくスケルトンの現場を見学した。地域の木を使うことは、少し大げさに言えばわたしたちが暮らすこの地球環境を背負っているのかも知れない。あらためて山とまちの関係性と木をどう使うかが問われている。




涼を求めて

この暑さでオーバーヒート気味の頭を冷やしに、
天上に涼を求めて三嶺に登ってきました。

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入水したくなりますね。

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思わず目に留まった美林です。

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横の看板にはSGEC認証の、
美馬森林組合と吉野川流域林業活性化センターの森林とあります。

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森のショーケースの意味が分りました。

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ウラジロモミ(ダケモミ)とダケカンバの登山道を行きます。

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稜線直下、
たくさん雨が降ったあとはこのように数条の水が落ちています。
美味しい水です。

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稜線の池と避難小屋。
この池から水が染み落ちます。
稜線上池は珍しく、いままでにこの池が枯れたのを見たことがありません。

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頂上です。
あいにくガスで眺望はききませんでしたが、
とても涼しくて、冷えた汗に体温を奪われて寒いくらいでした。





社員をサーフィンに行かせよう

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イヴォン・シュイーナードと聞けば、
ある年代、登山に熱中していた人や
熱き想いにとらわれて、山に人生を傾注していた人は
琴線にふれる名前だ。

シュイーナードブランドの登攀具をザックに収め、
岩場に通っていた若き日の想いが、
沸々と蘇ってくる。

この書に出会ったのは5年前。
パタゴニア創業者シュイーナード。
彼の経営哲学には「環境」が貫かれている。

流儀は自然流、
自然の環境があってこその人の営みがある。
根底には地球環境を愛しむ心と実践がある。

この書を紐解くとまたがんばれる、そんな一書。
森 摂訳(オルタナ編集長)