境界線の無い世界

たしかに、ぼくたちは境界線の内と外で生きている。建築する時は敷地境界線、その境界線なくしては設計そのもが始まらない。山に行けば網の目ように実際は見えない境界線が引かれている。ロシアでは境界の分捕り戦争を隣の国に仕掛けている。日本だって70数年前は同じようなことをやっていたし、もっと遡れば国内で国盗り合戦をやっていた。なんやかんやで境界線はとても面倒なしろものであるし、この先境界をめぐるシビアさはきつくなることはあれ、曖昧を許す寛容さはますます遠ざかっていくのだろう。さてTV、特定のものしかあまり見ないのだが、たまたまつけたらチームラボの猪子寿之氏が森についてしゃべっていた。森(植物)には境界がない、ただただ太陽を求め自然の摂理によって生きている・・・。生き物たちも自由だ、ファジーな縄張りはあるが常に変化し固定化されるものはない。人は境界をつくることによって秩序を保とうとしたが、逆に不自由な状態にしてしまい、これはこの先きっと変わることはないのだろう。それは地球の地表だけの話ではない、人種、性、年齢、障がい者・・・あらゆる事象に境界線を引いて不自由で窮屈な社会にしてしまった。このままいくと変化も感じるが危うい。7月10日は暑い熱い?参議院の選挙だね。
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